甘め研修医2年目の備忘録

とある田舎の田んぼのど真ん中、そこには日夜定時で帰ることを模索する研修医2年目がいるそうな。志望科は呼吸器、総合診療、感染症。

医学生教育に携わる気は毛頭ない

もし関わる機会があるなら(ないと思うけど)

 

予備校教師

研修医向け書物の執筆

 

くらいやってもいい。でも大学に居残り、講師として教壇に立つことはなんとしても避けたい。だって大多数の医学生にとって医学勉強は「進級するための脳内使い捨てカメラにジャンジャカ教科書の文章を写すこと」でしかない。終われば忘れる、儚い知識。故に医者としての予後を左右しない。4年生で臨床の基礎を蔑ろにしようと、5年生のポリクリで無断欠席しようと、6年生で予備校のネット講座で程よく勉強すれば国試は通るし、研修医としても何不自由ない。研修医にとって最重要スキルは「フットワークの軽さ」であり、それは勉強の出来となんら相関しない。人との関わりが嫌い、ミスをみんなの前で指摘されることに抵抗ある、自分がすべきことを主体的に見つけられない・・・そんな人は初期研修で絶対落ちぶれる。だったら医学生のうちは部活に勤しみ、余暇に海外でも行って見聞を広めヒトとしての幅を拡げた方が、患者にとって「頼りになるお医者さん」として認識されやすいのではなかろうか。人が人を信頼するためには、「余裕」が必要で、ヲタクから余裕は生まれない。

 

しかし・・・もし僕が新設医学部の教授になってその大学の教育全てを牛耳れたとしたら・・・なんとか意味のある教育現場にしたいので・・・カリキュラムを大きく変更するだろう。

1年:解剖と症候学(頭痛に出会ったら医師としてどう振る舞うか!?とっつきやすい命題をすりこむ)

2年:臨床医学(鑑別疾患の深いお勉強)

3、4年:基礎医学(体の仕組みについて深いお勉強)

5年:ポリクリ(必ず外来を持たせる)

6年:国試勉強

今の日本教育は「なぜそれをこの時期に勉強するのか」が不明確。突然生理学や薬理学を勉強しろと言われても、目に見えない事象に情熱を注げる人は変態だけだ。まずは医師としてのマクロを創造させる、仔細こそあとでゆっくりやればいい。

「生理学も知らんやつが臨床など云々」と正論をのたまう御仁もいるだろう。しかし実臨床は生理学を知らなくとも、抗菌薬の作用機序まで知らなくとも、適応や禁忌さえきちんと理解しておけば事足りる。

正確に言えば、臨床では常に「症候→病気and生理」で考えるわけで、その流れに逆らう教育は無に等しい。

 

そして当たり前の話だが、医学生の時点から研究のことを考える必要はない。研究とは臨床の謎を解き明かす高尚な分野であり、臨床のりの字も知らん医学生・初期研修医が脳内飛び級していても仕方のないこと。まずは何事も患者から学ぶこと、これを徹底することこそ教育だと考える。

 

もうすぐ新1年生がやってくる。僕としての精一杯の症候学を伝え、テキパキと当直をこなせる人員を増やしたい。。。

「どの病院で研修しようと、いずれ実力は横一線」←ホント?

数多のブログ・医療記事で書き尽くされたであろう、「研修病院はどこでもいい」という話題。研修医になる前は、漠然とだが正しい論理だと思っていた。

しかし研修も1年終わろうとしているこの頃、どーも釈然としなくなってきた。

 

本当に研修病院はどこでもいいのか?

本当に実力は変わらなくなるのか?

 

少し考えたい。